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渋谷

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 1月28日(金)19時17分34秒
  通報 編集済
  旧作発掘シリーズ(といいつつ,前にも出したような気も多少するのでその節はお許しを。備忘録として外部記憶に残すと内部記憶としてはもう忘れても良いと思ってしまうのではないかと思うこともある)。
これも『風の旅人』用生原稿。本文に出てくるバルト『明るい部屋』は前に週刊朝日にも書いたけれど「忘れ得ぬ本」だ。その「忘れ得ぬ理由」は週朝に書いたこともあったけれど、分析の枠組みとしてこんなに長く関わることになるとは最初に読んだ時には思わなかった。それだけ写真、記号を考える上で使い道が多くあった。ただ論評には何度も使ったけれど、それはいかにもベタなやりかたであって、佐藤真さんがドキュメンタリー映画『SELF AND OTHERS』を作ったように、咀嚼した上で自分自身の創作表現に至るよううなインスピレーションをそこから得るまでにはゆかなかった。
ケータイ写真の連続によって描きだされる渋谷というのは、今であればツイッターのTLが編み上げる世界に通じるのかも知れない。ということは世界の渋谷化? アナロジーに淫するのは危険だけれど、情報社会は少しずつ、しかし確かに変質しているようにも思う。毎日見ていると気づけない種類の変化に気づく力が、創作的想像力には恵まれなかった自分ではあるが、備わっていて欲しいと思いつつ。
*******


 書けなくなったら渋谷に行けーー。ある時期、それを座右の銘にしていた。次々に芽を吹き出す流行現象を斬っては捨ててゆくような仕事を大量にこなしていた頃のことだ。
 ハチ公前からセンター街をはぐれた野良犬のようにうろうろとぶらつけば、その時々の最新風俗が目撃できる。そして疲れた頃にセンター街半ばの交差点角にあるマクドナルドで一服。今日、拾ったネタについて考えを巡らす。二階の窓際のカウンター席からは、今歩いてきたコースが俯瞰でき、同じ目線の高さ見るのとはまた別の眺めが得られる。
 援助交際やチーマー、ガングロ、ヤマンバ・・・・、ご多分に漏れず、そんなものを相手に随分と記事を書いた。しかしーー、そんな仕事はいつのまにか辞めていた。具体的な転機が何か訪れたわけではない。泉が少しずつ枯れてゆくように徐々に仕事量が減り、気がついてみたらそんな仕事を久しくしていない自分に気づく。
 いつまでも流行現象をリアルタイムで追い続けるような仕事はしていられない。それはもっと若い書き手がすればいいのだ。自分がそれを辞めたのは自然なことだったのだーー。そう考えようとするが、どうにも腑に落ちない、しこりのようなものが残る。
 渋谷から離れたのは、その街に自分が拒まれたからではなかったのか・・・・・。確かにある時期から書きにくさを感じていた。これといったネタを拾うことが次第に難しくなり、ようやくテーマを見つけたとしても、うんうんと苦吟逡巡して、しかし、うまく書けない。そんな苦渋を味わい始めた時期と、流行分析の仕事から離れた時期が重なる。ということは、格好をつけて「書かなくなった」とひとにも自分にも説明してるが、実はそれは、「書けなくなった」からではなかったか。
 渋谷が「書けなくなった」、その事実にもう一度、正直に向き合ってみようと思ったーー。それは藤原新也が『渋谷』を書いたのがきっかけだった。
 藤原からは強い影響を受けている。『東京漂流』に身の毛もよだつ戦慄を覚えた。インドからアメリカに至る旅行記は、優れた比較文明論の仕事だと思う。そして何よりメディアを使い分ける「したたかさ」にも憧れた。文章で語るべきことは文章で、写真で示すべきことは写真でという使い分けを藤原ほど見事にこなしてきた作家はいないだろう。
 そんな理由で数多い団塊の書き手の中でもある種、別格の存在として意識するようになって久しい。ちなみに銀座で開催されていた彼の写真展で以前に愛用していたという45mmのGNニッコールとモードラを装備したニコンFフォトミックFTnの展示と対面を果たした時など、はしたなくも感動に打ち震えてしまった。自分がいま見ているのは、「東京漂流事件」のきっかけとなった「犬に食われるほどの自由」を体現していたインドの道端で行き倒れた屍を記録した機械の眼なのだーー。そう思うと感動を禁じ得なかったのだ。
『渋谷』はそんな藤原の最新作だ。巻頭に配された前書き代わりの断章は郷里福岡で開催された写真展について。その撮影を通じて出会った少女との刹那のすれ違いが描かれる。そして本文では中葉の写真ページを挟んで二つの作品が置かれる。ひとつは渋谷のファッションマッサージで働く少女の話。そしてふたつめはかつて援助交際をしていたという25歳の女性の話。
 そんな内容の『渋谷』を読みをえた時、自分にはなぜ渋谷が書けなくなったのか分かったような気がした。それについて書くために、少し回り道をする。
   □
 ここで引いてみたいのは、構造主義と呼ばれた一つの時代思潮の担い手だったロラン・バルトだ。本誌の読者には釈迦に説法かも知れないが、バルトは写真論の世界では重要な存在だ。デビュー作と言える『神話研究集』の中で『パリマッチ』に掲載された三色旗に敬礼する黒人兵への写真の言及した箇所は有名だし、以後、『写真のメッセージ』『映像の修辞学』『第三の意味』と写真をモチーフにした作品が幾つかある。
 しかしバルトの写真論は時間の経過と共に大きく変貌している。初期のバルトはデノテーションとコノテーションという言語学の用語を使って写真を論じようとしていた。デノテーションは外示、コノテーションは共示。三色旗に敬礼する黒人兵の写真は、被写体として黒人が映し出されている(外示)が、その映像は即時に「植民地の住民にも愛国心が浸透している」というメッセージを共示する。バルトがまず重要視したのはコノテーションの方だった。映像がどのようなイメージを喚起するのか注意深く分析すること、それが彼にとっての「神話研究」だった。現代における神話とは外示されたメッセージが即座に喚起する共示イメージを意味していた。
 ところがそうした姿勢が徐々に揺らぎ、『明るい部屋』に至って完全に放棄される。そこでコノテーションとデノテーションはストゥディウムとプンクトゥムという言葉に変わる。
「写真に対して、一種の一般的関心、ときには感動に満ちた関心を抱くことができるが、しかしその感動は、道徳的、政治的な教養(文化)という合理的な仲介物を仲立ちとしている。そうした写真に対して私が感ずる感情は、平均的な感情に属し、ほとんどしつけから生じるといってよい。フランス語には、この種の人間的関心を簡潔に表現する語が見当たらない。しかし、ラテン語にはそれがある、と私は思う。それはストゥディウム(studium)という語である」
 三色旗に敬礼する黒人の写真に対して抱く「愛国心」のイメージも一般的に共有される教養や習慣の産物であり、ストゥディウムの範疇に属する。こうして、かつてコノテーションと呼ばれていたものがストゥディウムに収容される。そもそも写真について何か言及された言葉はすべてストゥディウムだ。
「自分の写真を誰かにみせると、相手もすぐに自分の写真を撮りだして、こう言うだろう。<ほら、これが私の兄弟で、そちらが子供の私です>、等々。「写真」とは、<ほら>、<ね>、<これですよ>を交互に繰り返す一種の歌にほかならない」。
 それまでバルト自身が写真についてあれこれと論じてきたことも、言葉使いは多少高尚であれ、こうした「ほら」「ね」の素朴なやりとりの延長上にある。
 対してプンクトウム(punctum)はそうした思考の対象にならない。それはひたすら人の心を付き刺す。「ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである」。
 かつてデノテーション=外示といわれたものは瞬時にコノテーションを喚起する。その意味でそれはむしろストゥディウムの入り口に過ぎない。しかし、こうしてコノテーションに横滑りすることなく、見るものの心を突き刺す刺激を写真は宿してもいる。それをバルトはプンクトゥムと改めて名づける。プゥンクトウムの刺激は一般的な説明が不可能だ。写真の見るひとの個人的な経験と響き合うことで、他者に説明不可能な刺激が生じる。
 このプンクトゥムこそ写真を写真たらしめている要素だとバルトは考えた。写真というメディアはシャッターを切った時にレンズの前に存在したすべてを撮影者の意図を越えて公平に写し込んでしまうからこそプンクトゥムが成立する。対して絵画にはプンクトウムが介在する余地がない。すべては画家の計算に基づいて描かれ、意味が与えられ、絵画を鑑賞する者は画家が絵の隅々にまで込めた意味を読み取ろうする。写真だけがプンクトゥムを宿すメディアになりえる。だからこそ写真論はプンクトゥム論になるべきだとバルトは『明るい部屋』で唱え、しかしその直後にクリーニング屋の配達車に轢かれて死んだ。
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 しかし、私たちは今や写真だけでなく、生のあり方にもストウディウムとプンクトゥムの折り重なりを見るべきなのではないか。
『渋谷』に登場する元・援交少女に藤原は問いかける。「最初はどんなひとだった?」、返事は芳しくない。それは答えを躊躇しているわけではない、ただ記憶していないのだ。最初の相手だけでなく、その後の誰一人として確かな記憶として定着していない。
 そんなやりとりのくだりを読んで彼女にとって援助交際の経験はプンクトウムだったのだと思った。それは文字通り彼女の身と心を突き刺す出来事だったはずだ。だが写真のプンクトゥムと同じく、その経験は一般的な説明に耐えられない。だから「ほら」「ね」と気軽に第三者に伝えることが出来ない。
 こうしたプンクトゥムとしての経験は、精神医学が解離と呼ぶものとおそらく重なる。解離とはフロイトと同時期にジャネによって提唱された病理現象で、困難な葛藤にされられた時、それにまつわる観念・感情を意識から切り離すことを指す。そうした分断の結果、葛藤の記憶は残らない。精神科医の斉藤環は「現代がかつてないほど<解離への圧力>が高まっている時代である」と書く(『解離のポップスキル』勁草書房)。解離という防御の機制を発動させずには耐えられないほどのストレスが存在しているという意味だ。
 そうした説明を踏まえると、なぜ渋谷が「書けなくなった」のかも分かるように思うのだ。「渋谷発」と枕詞付きで引かれたり、「渋谷的」と形容されることが多かった社会現象の多くが解離的なものだった。タトーやピアスをつけることは痛みを伴う。しかし、なぜその痛みを引き受けるかについて一般的な説明は出来ない。だから、それについて取材しようにもいっこうに要領を得ない。渋谷が書けなくなったのは、そこで繰り広げられる最新の風俗が世間の一般的な説明の言葉=ストゥディウムから切り離されていたからだろう。
 藤原はそんな困難に挑戦し、援助交際少女の言葉の片々に意味を探そうとする。思えば彼女と知り合ったのも説明の言葉を求めたからだった。藤原はある雑誌に写真を公開していた。そこには電車の中でフロアにあぐらをかいている女子高生を撮影したものだった。そんな写真に藤原は文章を添えた。「あなたにはこの光景がどのように見えるのかということを知りたい。その光景が僕のようにあちら(彼岸)の光景ではなく、ひょっとしたらあるいはどこか地続きの光景であるのかもしれないひとの考えを知りたい」
 そんな藤原の言葉に応えたのが元援交少女であり、藤原は何度かのメールでのやりとりの後に彼女に直接会い、「地続きの人間」だからこそ出来る説明を求めようとする。
 そこで藤原はプンクトゥムをストゥディウムの地平に繋げようとしているとしている。それは解離した経験をもう一度連続的な意識の中に取り戻させようとする精神分析の治療行為に似ている。少女達の困難を母性禍ーー過剰な母性に包み込まれることでかえってネグレクトされるーーという概念で説明しようともするところもどこかフロイト的だ。
 その試みが成功したかどうかは『渋谷』を読んで判断して欲しい。ただその成否とは別に確かなことがひとつだけある。それはーー、藤原の手がけている作業が「渋谷的」なものを、そうでないものに変える作業だったと言うことだ。
『渋谷』の最初の話の中には様々な個人的なエピソードが挿入されており、藤原が記者のインタビューに答える部分がある。藤原は偶然見つけたインターネットのサイトで「あなたが癒されると思う場所を幾つか挙げてください」というアンケートを見つけ、「渋谷センター街」と応えた。それが縁となり、答えに興味を持った記者の取材を受ける。藤原は渋谷のスクランブル交差点を一日に50万人以上が渡っていること。その中に2500人の自己破産者が含まれ、更に多くの家庭崩壊の子供たちもその中に含まれているだろうことを言う。なぜ崩壊家族の子供達は渋谷を目指すのか。そう記者に問われてこう応える。「この街を歩くと何か音も空気もない真空地帯を歩いているような妙に忘我的な気分になることがある。そんなところが少年少女たちを引きつけているもののひとつじゃないか」。
 更に畳み掛けて、なぜ音も空気もない真空地帯のようになるのかと記者に尋ねられて、藤原はこう応える。「ある周波数同士の音をぶつかり合わせると互いの音が相殺しあって音が聞こえなくなる。ここではさまざまな音や今のあらゆる情報がありったけ流れていますが、情報が飽和状態になると無に等しくなる」。「渋谷センター街といえばかつてはチーマーだとか、ヤマンバとかガングロと名づけられたはずれ者っぽい少年少女のたまり場みたいに言われたけど、ひょっとしたら彼や彼女らも自分の存在感を得るためではなく、自分の存在が消えてただの匿名のノイズになることで癒されてるんじゃないか・・・・」
 匿名のノイズになること。それは意味の縛りから逃れることだ。だが、実際に少女を前に書き始めた藤原の言葉は、意味の縛りから逃れて来た者の話を解釈し、その行為の意味を回復させようとする。それは意味の真空地帯であり、解離の場所である「渋谷」に引き寄せられた者を、その生まれ育った故郷に、家族の許に戻そうとすることに他ならない。それは「渋谷」について書くことのひとつヴァリエイションではあるかもしれないが、渋谷そのものを書くこととは違うように思う。
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 しかしーー、そこで思い当たるのだ。こうした作業は、実は藤原が写真を通じて過去に手掛けて来たものでもあったのではないか、と。車内に座り込む女子高校生の写真を藤原は「時代の証言を写真におさめるべく」撮影したと書いている。その写真は一般的な報道写真と違って、何が起きているか即座に理解できるものではない。しかしそれでも、それは解釈を求める写真だ。かねてから藤原の写真術はそうだった。いつその証言の意味が明らかになるかは分からないが、藤原は時代の証言者を自認して撮影をしてきた。そんな写真はジャーナリズムの文脈にあり、広い意味での報道写真だ。それが優れた報道写真だからこそ筆者はそこに惹かれたのだ。
 しかしバルトは『明るい部屋』でこう書いている。「報道写真はしばしば単一な写真となる(単一な写真は、必ずしも平和な写真でいうわけではないのである)。報道写真の映像にはプンクトゥムはない。衝撃力はあるーー字義通りの意味は精神的ショックを与えることができるーーが、しかし乱れはない」
 藤原の写真には言葉が溢れている。言葉で説明しない変わりに写真で説明する、それが藤原の写真術だった。そして『渋谷』で藤原は少女達に自分の写真術を適用しようとしているのだ。
 だが既に示したように、渋谷を渋谷たらしめているのも、そこで繰り広げられている解離的な経験、つまりはプンクトゥムなのだ。ストウディウムを求める文章では渋谷の最新風俗は描き切れないだろうし、報道写真に渋谷の真実は映らないだろう。
 ストディウムの及ばない空白地帯、従来の報道写真に写し止められない解離した経験がありえるということーー。それが最近の渋谷という街の、そして更には渋谷に象徴される今という時代のリアリティなのだ。おそらく今、渋谷を最も忠実に記録しているのはそこに集う者達が互いに取り合った他愛ないケータイ写真だろう。現実には不可能だが、消去されたり、忘れ去られる前にそれらを全て一同に集めて高速でスライドショーでもしたら、そこに撮影者の意識を越えて記録されていたプンクトゥムの総体として渋谷の街の真実が、そこに集う人々の解離の状況が浮かび上がるのだろう。そうした無意識の記録に肩を並べられるような意識的な記録と表現の手法を編み出せるかどうか、それが現代を記録する者、その真実を表現しようと志す者の全てに与えられた課題なのかも知れない。

 
 
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