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ペンとパン

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 1月27日(木)06時52分18秒
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  本当に遅ればせながらなのだが、黒岩比佐子さんの『パンとペン』を読む。堺利彦は歴史の教科書程度の知識しかなかったので発見の連続だった。個人的にはベラミーの『百年後の世界』とモリスの『ユートピア便り』の両方が堺利彦の仕事だったことにまず興味を感じた。この二冊は因縁の関係であり、ベラミーの本が売れているこを懸念し、モリスは『ユートピア便り』を書いたのだ。そんな二冊をともに訳すと言うことは堺はどのような未来観の持ち主だったのだろうか。この二冊をともに訳すと言うところに、二冊の内容を知るが故に堺の器の大きさがうかがい知れるので、そこが気になってしまう。
内容そのものにも言及しておこう。堺が平民社以後の社会主義「冬の時代」を生き延びるために、ペンでパンを売るために作った売文社。いわば編集プロダクションであり、企画会社であり、それ自体がユニークな存在だが、その最初の依頼は「耶蘇教の女学校の卒業論文の代作」だったらしい。おやおや、当時の耶蘇教の女学校といえば、いいところのお嬢様だろうに、ずいぶんとずるいことをする。しかし、そんな依頼を堺は飄々とやっつけてゆく。他にも堺自身の理想とはほど遠い文章、――詐欺まがいのものまであるーーの代筆を頼まれて、それでも見事な文章に仕上げる。そんなことが出来たのは、堺が文章を作品として突き放せたからだろう。
弁護士もそれと近い事情がある。自分では弁護する価値など微塵もないとおもうような輩を相手にしても弁護ができなてはならない。そんなことを示して弁護士は地上最低最悪の仕事だと言われることがある。売文業も同じだ。弁護士も売文業も最低最悪の淵にまで落ちることで相転移を導いて自らを聖化する仕事なのだろうと思う。しかしなかなかそれは簡単ではなく、多くは中途半端な小悪党に留まる。間違いなくぼくもそのレベルだ。
 弁護士の場合は、こんなやつを弁護するというのはどう考えてもおかしな話だがそれでも法を守っていると思えることが、心のよりどころになる。しかし書き手はライナスの毛布のように六法全書を抱いて寝ることもできず、徒手空拳で臨まないといけない。だから苦労する。人ごとのように文章を、自分からひきはがして書くことがなかなか出来ない。
そんなことに気づいていたので、先端研でジャーナリズムを教えていたときに授業内容をまとめる記事を二本書け。一本は好意的に、一本は批判的に、という課題を出したことがある。ふつうはどちらかしか書けない。書けない方を書くのは本腰が入らない。しかし、敢えて本腰が入らない記事に本腰を入れることで文章が自分から引き離される。臓器をメスで切ってはがして行くイメージか。自分の文章と向き合うためにはそういう手術が必要なのだ。そうしてこそ、自分の文章を相手に対話したり(良い仕事が出来る必要条件)、それを肴に酒が飲めたり(笑)するようになる。普段からそう考えていたから堺が自らの主義主張から離れて自在に文章を書いて売文していたエピソードは面白かった。ペンでパンを買うためにそれは必要な能力だ(。だからぼくも学生にその必要を伝えようとしたのだ)。もちろんそれが出来た堺が、あるいはそれをせざるをえなかった堺が幸福だったとは言えないし、堺だって自分自身の仕事においてはやはりそれは自分の分身だったのだろう。
さて、高畠素之も作品の中に当然のごとく登場する。売文社を支えた主要な人材だったからだ。しかし高畠はやがて国家社会主義者となって堺と反目し、結局、売文社を解散に追い込んでしまう。
この高畠にも個人的には思い出がある。『隔離という病い』の中で生田長江を取り上げた時、高畠との因縁が主題になっている。生田が資本論の翻訳を手がけたことを高畠は許せず、口汚く生田をののしり、ついには『生田長江の癩病的資本論』を題した記事まで書いた。生田が本当にハンセン病に罹っていたかどうかはわからない。しかしこの記事は生田を深く傷つけ、資本論の訳業はそこで止まる。そして高畠は日本で最初の資本論完訳者となる。
この経緯を『隔離という病』で取り上げていたので、もしや黒岩さんは拙著を読んでくれたのかなと思ったが、巻末の参考文献には入っていなかった。同じ資料さえ使えば同じエピソードを掘り起こせるので、おそらく黒岩さんも苦労してそこにたどり着いたのだと思う。そのエピソード自体は単に事実であり、そこから論が展開されているということでは『隔離という病』も『パンとペン』も同じだ。『隔離という病』は生き甲斐論の中で生田を取り上げた。黒岩さんは堺の伝記を書いたのであり、高畠が死んだ時の堺の追悼文を載せている。「私としては、資本論の反訳を完成した、マルクス学の大功労者が、遂に自ら純正のマルキストであり得なかった事を幾ら憾んでも憾みきれない」と堺は書いたと言う。堺に言わせれば純正マルキストたるものが国家社会主義などに耽溺するはずがないということになるし、ぼくの仕事と連ねて書けば、純正のマルキストであれば、『生田長江の癩病的資本論』などと書くはずがない、ということになる。この堺の高畠評を読めたことで、生田論での高畠の評価も間違っていなかったと思った。
この本は遺作としてふさわしい内容を備えている。ここまでの傑作を残せたのだから本望だったのではと多くの読者が思うはずだ。しかし著者は著者同士で感情移入でき、その気持ちを推測できる。本望なんてとんでもない。黒岩さんはもっともっ書きたかっただろう。この本を書いたからこそ一段と次の本を書きたくなっていたのではないか。その気持ちをかろうじて抑えていると思えたからこそ後書きに泣けた。
生はいつも突然停車する。故障が発見されたので次の駅でこの列車は運行を打ち切ります、そんなアナウンスはいつも唐突になされ、乗客は思いを積み残したまま列車を降りざるを得ない。
 
 
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