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神話が考える

 投稿者:武田徹  投稿日:2010年 6月28日(月)16時43分11秒
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  今の大学生は忙しい。自分の時代とは隔世の感がある。それは出席を取る授業が殆どだし、課題が猛烈に多いからだ。それは管理が強まっているということではない。教員は学生のためを思って、学習の動機付けになればと考えているのだ。しかしいかにも多すぎる。個々の授業ではそうでもないのだが、殆どの授業で課題が出されているので明らかに学生の能力を越えてしまうことがある。その結果、学生は全ての課題に全力を投入することがもはや物理的に出来ず、深く考えることを諦めるし、適当に手抜きをすることを覚えてゆく。学生のためを思って出した課題が巡り巡って学生に手抜きを習慣づけ、深く考える機会を奪う。そんな窓外の逆説的結果が生じていることに教員自身や、心から教育の質的向上を望んでいるに違いない教育官僚たちは案外と気付いていないように思う。
それについて日頃おかしいと思っていたがふときづいた。これって出版業界と同じではないかと。書き手も編集者もそれぞれによかれと思って本を出す。しかし本は読者がきちんと対峙して読める量を物理的に上回り、結局はきちんとした読書に恵まれず、読書人を前提にした出版が困難になる。
この種の構図に対して「よかれと思ってやるな」とは言えない。それは上から目線の制御だし、そうした設計主義的な権力行使では善意は止められないし、止めることは自由の侵襲というもっと深刻な問題になる。
で、もはや解決なんてないのだと諦めたくなるのだが、それに対して解決方法とはおよそいえない抽象論ではあるものの唯一、希望を持つとすれば文化による是正なのだろう。善意の氾濫がゆがみを生むことに対する問題意識を持った人たちの局所的な対応が、時に繋がり、時に反発し合いつつも文化を形成し、なんとなく良い感じの方向に進めてくれればいい。文化では,余りに抽象的なら神話でもいい。過剰を用意するのもロマンであればほどほどでの充足を用意するのもロマンなのだろう。
 
 
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