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甲州街道ルートの件について、これまで問題意識をもったことがなかったので、新鮮なご質問でした。そんな次第で、きちんとした回答ができず申し訳ありません。
「アレ! 何で」は確かにたくさんありますね。特に田舎でごく普通に見られるのが、駅が街外れにあるところが多いという点。旧街道筋が街の中心部を通過しているのに、鉄道は街の周辺を迂回するように通過して結果的に駅も街外れにあるという話。近年の再開発で、駅の正面口は旧市街地に面していて、裏口?が新市街地に面しているというところも珍しくないというか、むしろ当たり前の姿かも知れません。
原因を調べてみると、鉄道側の建設資金不足で市街地中心部への乗り入れを断念せざるを得なかったという事情も多いようですが、住民が鉄道を嫌ったという今から見れば奇妙な理由(特に明治期に建設された古い路線で)も結構見られるようです。
政治的な背景については、明治維新時の官軍側と賊軍(朝敵)側のどちらに該当地域の藩がついていたかは明らかにあるでしょう。賊軍(朝敵)側あるいは官軍に非協力的だった藩は、懲罰的な対応を受けたのは明らかです。新政府の役人になれなかった(出世できないのも含め)とか、学校など公共投資が後回しになったとか、県名で差別的な扱い(旧藩時代の地名を使えなかった、県庁所在地が旧藩主居城とは別の場所になったとか)もあったようです。
山梨県がある地域も、確か非官軍側だったはずで、甲州街道ルートが検討もされなかったというのにはそういう背景もあったかも知れません。ただ、鉄道というのは国家統一の要でもありましたから、非官軍側地域の鉄道建設を後回しにするよりは、むしろ鉄道を敷設して中央政府の威光を示し睨みを利かせる(反乱の予兆があれば鉄道で鎮圧軍を迅速に送り込む体制)考え方もあり得たとは思います。このあたりは不勉強で、あくまでも私の想像にすぎませんが。
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