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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 5月21日(土)07時36分50秒
  もしもロラン・バルトがまだ生きていて1966年に続く訪日をして『表徴の帝国』の続編を書いたら、フクシマを「空虚な中心」としてその周辺に「純粋な音声の行使」としての原発関連市民運動を配置していたのではないか。不謹慎な想像と断じられかねないが、断定をする前にバルト読んで考えるという「、」を打ってほしいけど。  
 

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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 5月 9日(月)11時07分23秒
  藤田智先生が礼拝で話した「種まくひと」のたとえ。

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
かし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人であ る。
石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。
 
 

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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 5月 7日(土)21時12分46秒
  引越で資料を片付けていて日本原研の那珂研のパンフレットが出てきた。那珂研は核融合系の研究所で、発電までは届かないが重水素をプラズマ状態にして核融合反応を維持する臨界プラズマ実験炉があり、それを中心に各種の実験研究が行われている。
一時、集中的に取材に通っており、それが一段落したあとも、法政の学生を東海村に連れて行くようになったときに、ここを見学箇所に加えていた。
先端科学と言うことでは核融合には科学行政の関わり方など独特に学べるところもがある。原子力に詳しい人も融合側はあまり検討したことがないのではないか。
JCOの事故の時は距離的に近かったこともあり、核融合は中性子が出るのでその計測に特化して研究開発がなされていたこともあって、那珂研が中性子線の検出に貢献したような話もあとから聞いた。
取材に行っていた頃、ちょうどいまぐらいの気候の良いときに出かけたことがあって、五月のきれいに晴れた空の下、運が良ければ雉が見られるという緑の多い研究所の中を取材先の管理棟まで歩いた時ののんびりした風情を思い出す。
未来に賭ける、とはどういうことなのか。夢の技術を語ろうとしているパンフレットを見て思う。もちろん安全に、という前提の下でだが、未来に賭けることを選べる社会であってほしい。先端技術だけでなく、若い人たちの可能性に賭けることまで含めて、未来は未定であるが故に賭ける必要があり、賭けになんとしても勝って未来を自分で作ってゆく必要がある。未来は「ある」のでなく、夢に描いた未来に「する」ものなのだ。

 

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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 5月 5日(木)17時46分49秒
  引越しで本を分類していて愛知万博の準備段階で作られたレビ=ストロウスを大々的にフォーチャーした本を見つける。豪華箱入りだ。
実は愛知万博に関しては、たぶん事務側のトップクラスだった通産官僚と親しくて、当時、外部委員をやってもらっていた東大のYさんが評価きびしくて残念だと愚痴を言っていたのを思い出す。環境破壊云々と意見を述べたのではないか。あんなつまらないことを言う人だとは思わなかったと官僚氏は言っていた。
たぶんこの豪華本も、CLSとの間に入ってコーディネイトした連中はこの際だからと予算をつぎ込んででかい企画をやってしまったわけで、もったいない、無駄な支出だと指摘されていたのではないかと思う。
しかし今にしてみればこんなものができていて良かった。
実はCLSと日本の博覧会の縁はこれが最初ではなくて、あの世界都市博でもアドバイザー的な役割を依頼していたのだ。こちらは僕自身が委員やっていて、事前の委員会でCLSが語るビデオを見て、へぇ、幾つになったのかと驚いた記憶がある。ところが、こちらの博覧会はご存じのように中止になってしまって、たぶん、間に入った連中は懲りずに愛知万博に繋いだのではないか。
残すことに努力を惜しまない。国だって適当にあしらって予算つけてしまう。そんなしたたかさは、引越の時に本を片付けていたからか、改めてあってよかったと思う。
スケールの小さい、けちくさいことやっていてもしょうがない。やるならでかいこと、そんな気分になったこどもの日だった
 

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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 5月 1日(日)21時48分55秒
  まだまだ終わらない引っ越し。押し入れを開けるとそこに大量のものがあったことに気づき、その処分に追われる。
存在を忘れていたものなので、片付けても達成感がない。隠れていたものを処分したが、目に見えるところの光景が変わらないので、引っ越しはもう終わらないのではないかと思ってうんざりする。
本はだいぶなくなってきたけど、大型本とか、冊子類がまだだ。不定形なので扱いにくい。
押し入れからは過去の仕事で集めた資料も出てきた。原稿書いた後も取っておいたのだ。単行本類はPDFにしてもいいが、一枚紙の資料はどうしようもない。スキャンする余裕はなく、もうここまでだと思って処分する。
もしもう一度書くことがあればと思っていたが、これからはもう書けないことを受け入れる。自分がダメでも誰か他の人が書くときのためにバトンを渡してあげたかったが。
一服するのにPDFになっていない文庫本を開く。片岡義男のエッセー。こういうエッセーはいまも書かれているのだろうか。今は有名人の日常雑記を有名人のネームバリューで読むようなエッセーが多い気がする。片岡のように、日本なのか、どの国なのかわからない光景を、ドラマが起きるわけでもないエッセーは、今は絶滅したのでは? その意味ではこれもPDFにしておいた方が良いのかも知れないが、作者自身が果たしてそれを望んでいたのだろうかと思う。  
 

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