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合意形成は彼方に

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年12月 4日(日)08時52分21秒
  言語学者のチョムスキーを追ったドキュメンタリー『マニュファクチュアリング・コンセント』という作品がある。今はDVD化されたのを教材にも使えるかなと持っているが、最初に見たのは有志の手による上映会でだった。
映画の中でチョムスキーは語り続ける。ありとあらゆる場面で言語の自由が、いかに大事か主張し続ける。テレビにコメンテイターとして登場し、短く、洒落たコメントをいうことを求められても、自説を論理的に滔々と語り、話が終わる前に番組が終る。どこでも、どんな場面でも持論を曲げることなく、たとえば「ホロコーストがなかった」というリヴィジョナリストの発言を封じる処置を取った国を、言論の自由を制約したということで堂々と批判する。自分だってユダヤ系なのに。それはリヴィジョナリストの活動を許すバックラッシュに加担することだと再批判を受けるが、それでもめげない。
そんなコミュニケーション原理主義を貫くチョムスキーを、時にシリアスに、時にユーモラスに追ってゆく、ドキュメンタリーをみて、たいへんな人生だなと思いつつも、敬意を覚えた。話せば分かると彼は信じてその可能性に賭ける(マニュファクチュアリングコンセントとは合意の形成だ)。変形生成文法を普遍文法として提示したのは。人間という種は深層では理解可能性を持つという信念からだったのだろう。そんなこと何の保証もないのだがとにかくそれに賭けてみる。変形生成文法のそうした賭け=企投的性格が、言語理論だけおっていた大学時代にはわからなかったが、このドキュメンタリーを見て分かったように思った。
そんなことを思い出したのは、巡り巡って自分がどこかチョムスキー的な役回りを担い始めているからだ。3・11の原発事故があのようなかたちで起きてしまうことを防げなかったことは、自分の『核論』の言論としての力が足りなかったからだと考え、「今度こそ」の思いで増補版をあらためて出してもらったし、『原発報道とメディア』も出した。ある時期からは講演や放送媒体出演もできるだけ断らないようにしてきた。言論戦実行中だ。
昨日も学会の特別報告コーナーに出た。しかし、壇上に出て、例の囚人のジレンマ論を話すと、反原発運動家や原子力推進政策に反発を感じて来たひとから反発を受ける。反原発運動が原発事故をもたらしたとは何事か。国と市民では力が違うではないか等々と本当に毎度毎度同じ繰り返し。そこで自分の考え方を、かなり実証的に説明しても話は平行線だ。でも、それでもまたどこかで話す。
そんな経験を続けながら、昨日、「ああ、そうかチョムスキーもこうしていたんだな」と思った。偉大な言語学者と比べてしまうのもおこがましいが、語り続ける継続にこだわる愚直さに関して少なくとも通じるところはあると思う。昨日はマスメディアはシステムの名称であり、ジャーナリズムは行為の名称だとも話した。原発を巡る歴史の膠着性を集塵のジレンマとして語り、そこから脱却する可能性を弱者の発見に基づく可謬主義的訂正のプロセスの中に見出し、さらにマスメディアシステムとソーシャルメディアシステムの接続を語る。そうした語りや方向づけこそがジャーナリズムという行為なのだ、ジャーナリストも話せば分かると信じることでしか成り立たない仕事だろう。ちょっと近代主義者的な古臭さも感じないではないが、そんな行為にしばらくはこだわっていたい。この事故を、こんなかたちで起こすこと防げなかった一人としての責任を果たすために、そんなことを今は考えている。
 
 

モバイルギア

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年11月 6日(日)10時54分8秒
  ライフタッチノートが秋葉原で投げ売り状態だったので購入。モバイルギア再来の呼び声高かったが結局鳴かず飛ばずでおわってしまったモデルだ。
で、あまり期待していなかったのだが、案外使いやすい。タブで仕事ができないか、今まで何度も挑戦してきたが、一番の問題はソフトキーボードと外付けハードキーボードの使い分けが難しいことで、ギャラクシータブも(純正品は違うのかも。うちはSIMフリー版なので)ソフトキーが消せないので作業画面が小さくなってしまい使えなかった。その点、さすがに最初からハードキー前提で作られれいるのでノートパソコン的作業が可能だ。タブで使えるオフィス互換ソフトの使いにくさもあって、Winタブにしようと思っていたぐらいだが、10月にリリースされたばかりらしいKingSoftのオフィス互換のが案外と再現度が高くて好印象。文字カウントだけ、別のアプリを使うがそれ以外がそこそこ使える。DropBoxで同期するとフォントが変わるようだが、そう酷い状態ではないし、何か対策できるのかもしれないので研究中。
使えそうだという実感は、学園祭でまともに仕事に集中できないこともあるのだが。一応3日間、これだけで済ませている。作業は殆ど電車の中だが、Mediasをテザリングしてずっと使い続けてまだ投げ出していない。
ひとつ収穫の発見は、レッツノート用の16Vアダプターで頼りないなりにも?受電できてしまうこと(本来は19Vなので問題あるのかもしれない。試す人は自己責任でやってください)。USB充電ができないのは痛いが、16v用アダプターはThinkPad時代からの付き合いでたくさんあって滞在しそうな場所には配置しているし、カバンのなかにもひとつ入っている。android端末なので結構電池は持つが出先で充電できるというのは助かる。
こういう記事って311以後はなかなか書く余裕がなかった。でも、仕事環境の改善に努力したいという前向き姿勢はどんな状況でも維持したいもの。気持ちの上で老いないためにも、と思っている。


 

10/14

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年10月14日(金)11時05分7秒
  礼拝で話したこと。東京新聞に書いた「これからを生きる君たちへ」を改稿し、RONZAのハンセン病の歴史と311以後の社会をつなげて論じた原稿と合体させ、話す。

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10月14日の大学礼拝を始めます。
まず賛美歌21 520番をみなさんと一緒に賛美したいと思います。差し支えない方はご起立いただければと思います。

次に聖書を読みます。今日お読みするのは詩篇72の3~7節 旧約聖書906ページです。

山々が民に平和をもたらし

丘が恵みをもたらしますように。

王が民を、この貧しい人々を治め

乏しい人の子らを救い

虐げる者を砕きますように

王が太陽と共に永らえ

月のある限り、世々に永らえますように。

王が牧場に降る雨となり、

地を潤す豊かな雨となりますように

生涯、神に従う者として栄え、

月の失われるときまでも

豊かな平和に恵まれますように。


今日は『君たちはどう生きるか』と題してお話をします。
これは本の題名です。かつてそう問いかける題名の本がありました。
この本は、1935年、戦争が色濃くなっていた時代の日本で、出版の自由もだいぶなくなっていましたが、少年少女に平和の大切さを伝えることはまだできる、そう考えた小説家の山本有三さんの発案で始められ「小国民文庫」シリーズの最後を飾るものとして刊行されました。
当初、山本有三自身が書く予定だったのですが、山本さんは目が見えなくなってしまったので果たせず、当時、東京大学で哲学の勉強をしていて、このシリーズの刊行を手伝っていた吉野源三郎さんが書くことになりました。
この『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行されました。226事件が起こり、日華事変が起きてまさに戦争に突入してゆく年です。あとでお話ししますが、『君たちはどう生きるか』の中には、暴力に反対するメッセージがあります。そんな内容の本を1937年に出したことには大きな意味があったと言わざるを得ません。
『君たちはどう生きるか』は、戦後になって復刻され、長く読み継がれてきました。今も岩波文庫の一冊になっています。しかし昔ほど読まれているわけではありません。学生諸君は存在も知らないかもしれないので、内容を簡単に紹介しておきます。
主人公は中学二年生の「コペル君」です。コペル君とはもちろん愛称であり、本名は本田潤一くんです。コペルくんは父親をなくし、お母さんと二人で暮らしています。そんな甥のコペルくんを不憫に思ってお母さんの弟のおじさんが何かとコペルくんの相談相手になっています。
コペルくんという名前をつけたのもおじさんでした。このあだ名がついたエピソードも本の中に書かれています。ある日。あじさんに連れられてコペルくんは銀座のデパートに買い物に出かけます。デパートの屋上から霧雨の降る銀座通りを行き交う人々を見下ろしていたコペルくんは、ふとこうつぶやきました。「人間は分子のようなものだなぁ」。
それぞれが別々に動いているが、ある人が通るとあるひとがそれを避ける。自動車が来るとそれをよける。こうして人々はつながって、ひとつの全体をなしている。そんな様子に気づいてコペルくんは「人間は分子のようだ」と呟いたのでした。
そのつぶやきを聞いたおじさんは。コペルくんが自分中心の考え方を離れて、人々が、そして人と物が様々な関係性でつながれていることに気づいたことを知ります。
そして、コペルくんがそんな認識を得たことを、天動説の世の中で地動説を唱えたコペルニクスに匹敵する大きな成長だと考えて、潤一くんをコペルニクスくんと呼ぶようになります。それがいつしかコペルくんの愛称となって広まっていったのでした
そんなコペルくんの日常を描いた『君たちはどう生きるか』の中で有名なのが雪の日のエピソードです。
コペルくんの仲良しの一人、北見くんは愛校心、愛国心を暴力を使って押し付ける上級生に対して、それでは本当の愛校心は根付かないと主張したために上級生グループから目の敵にされていました。いつ上級生に暴力を振るわれるか分からない。そんな不穏な雰囲気の中で、コペルくんの仲良しグループは上級生に何をされても北見くんを守ると約束を交わしていました。
しかし、ある雪の日、恐れていたことが起きてしまいます。珍しく東京でも雪が積もったので中学生たちは喜んで校庭で遊び回っていたのですが、北見くんがひょんなことで上級生の作っていた雪だるまを倒してしまいました、北見くんは丁寧に自分のミスを詫びるのですが、許してもらえません。上級生はここぞとばかりに北見くんをののしり、いいがかりをつけて殴りかかろうとします。
その時にコペルくんの仲間たちは上級生と北見くんの間に割って入ります。彼らは何があっても北見くんを守るという約束を果たしたのでした。ところがコペル君だけ上級生の鉄槌から北見くんを守る盾になることができませんでした。凍りついたように足が固まってしまい、どうしても動くことができなかったのです。やがて不良上級生たちは問答無用とばかりに北見くんたちを殴りつけ、勝ち誇ったように去ってゆきます。
コペルくんの仲間たちはさんざん殴られて泣きべそをかきながらも、一番ひどい目にあった北見くんをだきかかえて教室に帰ってゆきます。そんな光景をコペルくんは雪の中でただ立ちすくんで見送りことしかできませんでした。コペルくんは約束を守れなかった自分がふがいなく、雪のふる校庭に長く立ちすくんでいました。それが原因となって風を引き、熱を出し、寝込んでしまいます。そして病床で悩みに悩んで、おじさんとも相談し、仲間たちに詫びの手紙を書きます。そして今度こそは自分も戦うと誓います。
この雪の日の出来事の章は戦争へ雪崩れ込みつつあった時局の中で、暴力に立ち向かう勇気の重要さを訴えた印象的な箇所として『君たちはどう生きるか』の中でも有名な箇所です。
しかし、ここで考えて欲しいです。もしもまた上級生が暴力を振るったとき、コペルくんはそれと戦うことができたでしょうか。私はそれは難しいだろうと思います。なぜならコペルくんの体が暴力を戦うように訓練されていないからです。
『君たちはどう生きるか』を「日本人の書いた哲学書で最も独創的なもの」と絶賛した哲学者の鶴見俊輔は一方で「身体の反射」を重要な問題として考えていました。
そこには第2次大戦が愚かな戦争だと知っており、頭の中では戦争に反対していながらも、なんらかの行動に踏み出せなかった自分への反省があります。
何か行動をするには、それができるように反射する体を持っていなければならない。鶴見俊輔はそう考えました。思想を行動に変えるには体を変える必要があるということです。
コペルくんは父親をなくし、お母さんとおじさんに大事に育てられました。そのために友人を守るためなら自分の身を危険の中に投じる、そんな反射行動を取る身体を持つに至っていなかった。コペルくんが北見くんを守れなかったのはそこに原因があると鶴見俊輔は考えます。つまりアタマで分かっているだけではダメ。反射的に動く身体を事前に作っておかなければならない。プラグマティズムの実践哲学を講じた鶴見氏ならではの指摘だといえましょう。
このエピソード7を3・11以後に私達がどう生きるかを考えるうえで引いてみたいと思います。
たとえば3月末に東京都浄水場で僅かな放射線量が検出されたと報じられただけで、あっという間に店頭からペットボトルが消えました。微量の放射線被曝でも将来的に何か危険があるかもしれないので、あらかじめそれを避けておこうとする「予防原則」的行動は、自分のことだけ考えている限り理想的でしょう。
ですが、社会の中のひとつの「分子」である個人の行為は、他の「分子」に影響を及ぼす。それは銀座のデパートの屋上から街行く人を観察したコペルくんが気づいたことでもあります。多くの人が線量ゼロのペットボトル水を買い占めると、本当にそれが必要な妊婦や幼児に届かなくなります。
あるいは、なんとなく不安だからと安全基準値をクリアしている福島産作物まで避けていると、生産農家に被災に加えて風評被害までもたらしてしまいます。
これらは鉄拳を直接下すわけではないですが、間接的に誰かを殴りつけているに実は等しいことです。自分がそんな暴力の担い手にならないためには、予防原則的行動を一瞬控えて、余裕がある人がリスクを少しずつ許容する必要があります。
たとえば健康な大人が、健康に問題のない線量の水道水を敢えて飲むことで一部の弱者=妊婦や幼児にリスクを重く押しつけずにすみます。ましてや安全性が確認されている食べ物であれば、福島産であれ受け入れる。被災者を支えるためにあえて受け入れるぐらいのことをしてもいい。
しかし、これはアタマで考えれば誰でも分かることだが、動けなかったコぺル君とは逆に、放射線と聞くとすぐに回避へと動いてしまう身体の「反射」が、そうして思考から行動を選んでゆく回路を遮断してしまいます。
話は少し変わりますが、私はハンセン病の歴史を調べたことがあります。日本にはハンセン病の患者さんを強制的に隔離し、ひどい目に合わせた歴史があります。しかし、それは隔離政策を進めた政治家や専門医たちの仕業だったか、というとそうではないです。そうした隔離政策を支持したのは国民全員です。病気をうつされたら困る。そう覚えて患者さんたちが強制的に隔離されることをむしろ望みました。そこにも自分の身にふりかかるリスクをゼロにしようとして重いリスクを患者さんに押し付けてしまう構図があります。
放射線を恐れて、東北の人たちにリスクをおしつけてしまう最近の傾向はハンセン病隔離の歴史と一緒だと思います。これもコペルくんが仲間を助けられなかったのと同じ反射の問題なのでしょう。共助の精神は今やずいぶんと共有されて東日本大震災でも多くのボランティアが救済に活躍しましたが、被爆リスクを前にすると身体が言うことを効かなくなります。放射線は怖い、放射線があるかもしれないものは自分から遠ざけようとする。こうした「反射」を方向転換するにはたいへんで、できたとしても長い時間がかかるはずです。
しかし、だからと言って諦めないでほしい。私はそう願ってやみません。
自分を守ることが他者への暴力に間接的に繋がってしまう、そんなリスク社会の実態を認識することから、地道に始めて行く必要がある。わたしはそう思っています。思想がいつかは行動を変えてくれる、そう信じたいと思います。
かつてコぺル君は「暴力との戦い」を誓いました。学生のみなさんは、21世紀のこれからを生きるコぺル君たちです。これからを生きるみなさんは「無意識に暴力を働いてしまう自分との戦い」を誓うようであって欲しいと思っています。
お祈りに変えて黙祷をします。
 

10/10

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年10月10日(月)21時09分10秒
  そのスピーチで Jobs 氏は、(結局は彼の命を奪うこととなる)ガンだと告げられたとを語り、「死こそ生が生んだ唯一で最高の発明品だ。それこそ生に変化をもたらすもの(life’s change agent)だ」と聴衆に語った。死の恵みとは誰か他人が決めた人生を送ることで時間をムダに過ごしてはならないと分かることだ、と彼は語った。またまたスティーブ・ジョブス「スタンフォードスピーチ」をめぐって。  

10/7

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年10月 7日(金)11時30分11秒
  昨日は改革本部原案を教授会で通す。もっと話しあえばという声もあったが、話しあう中で互いに分かり合えた「幻想」が改革の目的を冷却してしまうことを恐れて、やや強行突破気味に採決。敵が増えた感も…。目的を共同性が冷却するというのはピースボートを参与観察した古市さんの表現。
今日は広島に向かう。レジメは送ったがパワーポイントがまだなんですわ…。ジョブズではないが今日は人生最後の日だと思って行動する緊張感はここしばらく持続できている。もちろん多くの犠牲はあるけどね。新幹線内での作業に期待。
 

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