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レチナのこと

 投稿者:武田徹  投稿日:2012年 9月23日(日)11時49分5秒
  田中長徳氏がレチナの記事をブログで書いていたのに触発されて、自分でもiPhoneのレチナディスプレイとつなげてもうひとつのレチナのことを書いてみた。
写真に撮ったレチナは記事にあるように父親が買ったものだ。調べていて生産年が自分の誕生年とほぼ同じであることに気づいた。父は長男が誕生した頃に、このカメラにあこがれて欲しいと思いつつも買えず、随分後になって手に入れたということか。
彼がレチナを買ったのは、池袋にまだ大丸とか三越のデパートがあった頃で、地下街の一角の店を含めて何軒か中古カメラ屋があった。父は休みの日に色々な場所に子どもを連れていってくれたが、その途中で、これらの中古カメラ屋をよく覗いていた。子ども時代の私は古臭いカメラに興味などなく、忍耐を強いられる時間だった。レチナを買った場には立ち会っていないのだが、後になって地下街の店に修理に出していた記憶がうっすらとあるので、たぶんそこだったのではないかと思う。
たぶん欲しくてたまらなかったレチナだったのだろうが、手に入れた時点ではもうクラカメ化しており、実用にはたえなかったのだろう。使っていたのを見た記憶は殆どない。そのうち親譲りか、すっかりカメラ好きに育った私に「これも使ってみろ」とくれた。執着のない人で買ったカメラは殆どいつのまにか処分してなくなっており、譲ってくれたのはこの一台だけだ。手に入れるまでの経緯もあって処分には気が進まなかったのだろうか。少し事情があって父の人生について思う時間が増えている。チョートクの記事だけでなく、そんな個人的な経緯もレチナを改めて思い出して書いた背景にあったのだろう。
https://www.facebook.com/KeisenHE
 
 

6.30

 投稿者:武田徹  投稿日:2012年 6月30日(土)11時44分6秒
  野良猫の中には人に懐っこくて声をかけるとすぐによってきて甘えるタイプがいるが、一方で人を見れば怯えて逃げる猫もいる。都市で野良猫が生きてゆく生存戦略において有利なのが前者であることは言うをまたない。猫好きは後を絶たず、撫でてくれたり、餌をくれたり、更には拾って飼い猫にしてくれるかもしれない。後者はこうした機会をもつことが出来ないのだ。
これを比喩として用いることが、果たして猫に失礼なのか、人に失礼なのかはさておき、これを教育と社会のメタファーとして使えないかという話を、昨日JC-Castーー往年の東大先端研ジャーナリストコースから派生したポッドキャスト活動で話した(。これもなんとかしないとなぁ…ちょっともったいない)。
こっちを向いてくれる、呼べば近くにきてくれる学生であれば、知識だけでなく、就職試験に有利な振る舞いを教えたりして、将来の生存の機会を与えられる。しかし、こっちを向いてもくれないし、呼んでも声が届かない学生には生存の機会を与えられない。こっちを向くか向かないかはそれまでの育ちに起因する、規律訓練の内面化の結果次第なのだろうから、簡単に変えることはできない。で、教育する側は自分の望む形での規律訓練の蓄積がない学生に対して、時には環境管理型の権力をもって、こっちを向かせようとする。
個人的にはこうした展開に疑問がある。環境管理型権力を用いるよりも、こちらに向くようなかたちで規律訓練を受けていない学生=猫を生存させられない社会の偏りの問題ーーそれは障害者差別の問題や貧困格差などの問題にも深いところで通じているはずーーを考えるべきで、それをせずに環境管理型権力を用いることは社会の問題性を再生産・強化することになるのではないか。
私は教育にも関わるが、一応それ以前にジャーナリストでありたいほうなので社会を変えてゆこうとする志を無くしたくない。社会問題を論じるときに教育の問題を指摘する論法は、伝統的な日教組批判に始り、ゆとり教育批判などでも反復された一種の紋切り型となっているが、逆に教育問題を論じるときに社会の問題を指摘することが果たして充分になされているのだろうかとも思う。
 

6.7

 投稿者:武田徹  投稿日:2012年 6月 7日(木)23時12分33秒
  自分自身の時間の使い方でも、「向こうから自動的にやってきてくれる」SNSの書き込みを読んでいる時間が多くなっているので、こっちはもうほとんど読まれていないだろうと思っていた、公人?的な意識を少し押さえて、まさに備忘録的な内容を書いているのだが、それでも書いていると案外と反響があってメールをもらったりする。SNSの公衆監視の中でできるものよりも濃いやりとりという感じか。
最近、上海からの留学生を一人受け入れていて、彼女は研究テーマがSNSなのだ。出来れば院生はもたないつもりで来たのだが、今回は僕の本を読んで指名で受験してきた受験生だったので受け入れた。英語を早くから学べた世代らしく、作文まで含めて相当できるし、全般的に語学の能力が高いのか、学び始めたのが遅い日本語でも資料を読みこなしている。会話はまだたどたどしいところもあるが、社会学系の議論もついてくる。趣味が日本のサブカルなので、中国にいた頃から工夫して日本のネット文化やサブカルコンテンツに接触していた時間が長かったようで、実によく知っている。非常に優秀でもっと良い環境で学ばせたいくらいだ。
そんな大学院ゼミをし、会議を挟んで、夜は今度は学部のゼミコンパ。
 

6.6

 投稿者:武田徹  投稿日:2012年 6月 6日(水)21時44分54秒
  kルマの中で聞いていたラジオでパーソナリティの堤未果が福島第一では四号機の使用済燃料プールが一番危ない、的なことを話していた。確かに格納容器の外に位置するわけで、水を喪失したら遮るものがないということではいちばん危ない。危ないことを言っておいたほうが信頼される風潮もある。
ただ冷却水がなくなっても燃料を立てて保持している構造が維持出来れば空冷だけでも溶融には至らないという報告をみたことがある。ならば、その熱量計算が妥当なのか確かめるべきだし、構造が崩壊すると今度こそ危ないのだとしたら、どの程度の地震でプールが倒壊するのか調べるべきだ。
危険でないものを危険だといっているというのではなく、提もジャーナリストなのであれば、どういう条件であれば危険なのかはっきりさせて、それ対する対応をきちんととってゆかせるような世論形成に資するべきだと思う。
あぶないというばかりで、ならば安全のためにどういう手段をとればいいかの議論がなかなか出てこない。受信者は自分の感性に従順になって、たとえば怖がる権利もあると思うのだけれど、すくなくとも発信者には調べて伝える義務がある。調べないで気分を共有する報道が原発事故以来多くなっているような気がするのは問題だ。技術的なことがわからないので庶民的な感覚で報じてしまうのだろうか。
 

6.4

 投稿者:武田徹  投稿日:2012年 6月 4日(月)23時11分14秒
編集済
  寝付けずにテレビをつけたらBSフジで「東京ラブストーリー」をやっていた。Wikiによれば1990年の放映だそうだからもう20年以上前だ。カンチもリカも携帯電話を使わずに会ったりそれちがったりしている。織田裕二はまだまだ若い印象なのでそんなに前とは思いにくいが20年といえば彼にとっても誰にとっても長寿であっても人生の約1/4だ。
そんなに長い時間なのに、1990年からの約20年間、自分はそれに見合うほどその時間を大事にして生きたのだろうか。あっというまに20年ぐらい過ぎてしまった気がする。一日一日にはそれぞれに締め切りがあったり、片付ける仕事があって、それをこなすだけでも精一杯だったのだろうが、それにしても一日一日の積み重ねが、いつのまにか20年間もの時間になってしまうのだから、もっと一日一日を大事にすべきだったとつくづく思う。
ここ一年だってそうだ。『環』に書いたけれど311の後、日本に帰ってから練馬の実家で暮らした。石灯籠が倒れてしまった他は特に地震の影響もなかったが、原発は予断を許さず、もしかしたら避難もありえるかなと思っていた。そのときに両親と一緒にいたほうがいいと思い、実家から大学や打ち合わせに通っていたのだ。こちらとしては両親を心配して一緒にいたのだが、両親の方は居候の食にの面倒みないといけないので結構大変だったようで後から母親からは愚痴られた。それをうすうす感じないわけでもなかったので、出かけるたびに米を買って帰ったり、水を買って帰っったりしていたのだが。
父親の方はひさしぶりに息子と一緒に家の中の仕事をしたりできるのを楽しんでくれたのではないかと思うが、基本的に心配なのは自分たちよりも息子の方だというのは母親と同じで、大学に行くにもガソリンがなくて大変だろうと気遣って、近所のスタンドを見に行ったりしてくれていた。家に帰ると「さっき、売ってたぞ」と教えてくれて父のクルマと自分のクルマを連ねてスタンドまで行ったのだが既に売り切れでがっかりする経験もした。
こうして家の仕事も、運転もできた父が、一年間の間にずいぶん弱ってしまった。肺が弱って酸素吸入をするようになって、やはり身体に負担がかかっているのだろうか。90歳近いのだから仕方がないとは思うが。クルマはもう運転しないからと処分し、最近は寝ている時間が長くなって口数も減ってしまった。
このブログだって、昔は少しでも体調が悪いとか弱音を書くとすぐに心配して父から電話が来た。身近な読者がいて何か書くと直撃弾が来るので正直、たまらないなと思っていた。しかし、おそらく父はもうネットを見る気力はなく、父の反応を気にして書くのを遠慮したりすることも不要になってしまったのだろう。
一年間、入試の仕事をしていたし、原発がらみの仕事も多かったので土日も出ることが多く。実家に十分に顔を出せたとはいえない。一日一日を懸命に生きていたつもりだが、過ぎてしまえば後悔が募る。
それでも新しく引越しした家にはかろうじて両親を連れてこれた。両親と旅行に行くために買い換えたクルマには買った直後に山中湖にいったぐらいで、それ以外はほとんど乗ってくれなかったが、この時は酸素ボンベを積んで二人で様子をみにきてくれた。大きなクルマにしてよかったと思った。父親はなぜか神保町に詳しく、聞き出すと若い頃に通勤帰りに立ち寄って本屋とかみていたらしい。口数が少なくなってしまってからも神保町の話は乗ってくる。都電で移動していたようで、路線がどこを通っていたかを聞くと懸命に思い出そうとしてくれる。もっと聞いてあげたい、聞かせて欲しいと思う。
 

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