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公私間ハラスメント

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 2月12日(土)06時04分51秒
編集済
  大学ではもう幾つ委員会に入っているのかわからない状態なのだけれど、そのひとつにハラスメント委員会というのがあって、新入生に配るリーフレットを作り直すことになって、その文面を書いた。
前に前任者が作ったリーフレットがあって、大体はその改訂なのだが、ハラスメントになる可能性があることとして、「公衆の面前やネット上で個人情報を暴露された」という事例を入れた。実際、学生から自分のゼミ教員にミクシのコミュニティ上で自分のプライベートな話を書かれてしんどかったと聞いたことがあったので入れたもの。この学生はハラスメントという意識はなかったので問題として対応しなかったのだが、この種のハラスメントは、これからはありえるだろうということで例文に加えた。
しかし、悩ましいのはこういう例を加えると何か書くこと自体がいけないと短絡させるひとがでてくることだ。個人情報にもいろいろあり、本名とか、病歴などのセンシティブな情報はもちろん堅く秘匿されるべきだが、そうではなく、本人と社会の接続に関わるような個人情報もある(個人情報の定義によるが、ここではあえて緩く書いてみる)。そうした種の情報の中にはそれを用いて何かを書くことが公益的な問題提起に繋がる可能性があるものもある。そうしたケースでは個人情報であることを理由に秘匿されるべきか、公益性を重視して書かれるべきかは議論が可能だろう。
確かに「これを書いている人は、そのことを知っているはずなので、それは私のことだろう」と書かれた本人なら推測できるかもしれない。その意味ではその情報は個人情報的ではある。しかし、そうした推測が働かない本人以外にはそれが誰のことかは分からず、たとえ万が一に特定できても何の利益もなく、それはあくまでも社会的な傾向を代表する具体的な一例として、つまり個人にではなく、社会に目を向けるために書かれている。そうしたケースでは少なくとも書くこと自体が即禁忌であるということではないはずだ。
こうしたあたりの議論をきちんとしてこなかったことが個人情報と表現を巡る状況を極めて痩せたものにした。ジャーナリズム論の文脈でいえば、それはソーシャルメディアがいかにジャーナリズム機能を果たせるかにもかかってくる。マスメディアで論じられるものだけが公的なことではない。たとえば殺人事件の容疑者として逮捕されたとかいうことだけが、私人について報道されてもいい理由ではない。またマスメディアだけが社会に必要なジャーナリズム機能を担うものでもない。私的な情報をやりとりするソーシャルメディアが公的な価値を持たないわけではない。こうしたいくつもの「ない」を丁寧に議論して行く必要がある。
そこで議論をやっかいにしている特殊日本的な問題は、ミクシの中途半端な公開性だ。ミクシの場合、知り合いしかみていないので公的なものではないからプライベートな話題まで多少踏み込んで書いてよいという理由付けがなりたっているようだが、たとえ親しい同士二人きりで話していて、実は知っていてもプライベートなことがらを口にすべきではない場合もあるのであり、ミクシのコミュニティなどなおさらともいえる。それは身内同士と言っても公的な関係は含まれ、また言葉にすることが公的なものに繋がるからでもあり、実はプライベートな関係はパブリックな関係の対立概念ではなく、プライベートな関係こそパブリックな関係の起点になる(.その意味でミクシのコミュニティは私的な空間ではない)。しかし、だからこそ先に書いたようにプライベートなことがらが社会的な意味を担うこともあり、敢えて言葉にすべき時もある。そうした交叉した事情について考える必要性をミクシの閉じた(ように見える)性格が隠蔽しがちではないか。


 
 

体操

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 2月10日(木)07時29分59秒
編集済
  肩こりが酷く、頭痛もあるので形成外科を受診する。頭痛の原因が肩こりならばと言う前提で医者は、ラジオ体操なんかも馬鹿にしたものではなくて案外いいんだよと言う。
ラジオ体操と言えば、個人的には放送による国民国家化を考える視点の中にあったが、ついにそれを勧められるとは、と思わず苦笑させられる。
さっそくiphoneのラジオ体操アプリを買ってやってみた。気のせいかも知れないがすっきりするかな。高橋秀美さんの本でラジオ体操を欠かすと死んでしまいそうな気がして高速道路を走っていたときも放送時間になると非常駐車帯にクルマを止めて体操していた人の話が載っていたかなんか分かる気も。確かに適度な全身運動でなかなかいいかもと思う自分を省みて、身体は国家に繋がっており、その限りにおいて、国民国家批判は、ある年齢、あるいはある身体状態を境にしてなじまなくなるのか(笑)と思ったりする。
体操の内容でリズムの緩急が変わる。その度合いが昔より強調されているような気がするが、これも気のせいか。
今日は会議6階建て。がんばろう。

 

定義

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 2月 9日(水)20時32分31秒
  桃井和馬『妻と最期の10日間』を読む。妻の死をきれい事にしない真摯さがあり、別れの辛さの描き込みも直截な表現を避けて抑えた分、胸に迫るものがあった。
桃井さんは大学の関係で個人的に知らないわけではないし、単行本化が昔とても世話になった編集者の手によるものだ。他とは表紙を変えるなど異例にお金をかけた新書になっているがきっと多くの人に読まれるだろう。そう期待しつつ、刊行を素直に喜びたい。

そのうえで考えたことをひとつ。妻の死に直面した写真家ということで、やはり荒木経惟を思い出した。洋子さんの死に顔写真が有名だが、荒木の写真は死者を撮らなくても死臭が漂う。生や性と対立するものではなく、それらと両立するものとして死があることを感じさせる。

対して桃井さんの仕事を始め、戦場系ジャーナリストの仕事は死の悲惨を描き、一方で戦場の子どもの天真爛漫な笑顔を描くなど、死生を強く隔てる。
そうした死生観が今回の文字の仕事にも通底しているのだなと思った。
私は、といえば荒木の感覚に親しみをかんじる。私たちは死を生きていると思うからこそ私は戦場に赴かずともジャーナリズムが可能だとも思うのだ(桃井さんは同意してくれないのかもしれないが)。
それについては、森有正になぜか最近入れ込んでいる片山恭一の『どこに向かって死ぬか』を、これもまた最近読んでそれと通じるものを感じた。人間は一生をかけて自らの死を定義すると森が考えていた、そう片山は書く。定義という概念で死生を繋ぐ姿勢はなるほどと思う。定義するものとしての生はそれ自体の時間をかけて定義を行うわけで完全体ではない。だからこそそれだけを礼賛するわけにもゆかない。その意味でも死生はセットだ。
ネタバレに注意しつつ書くなら、桃井の本の最後は偶然『世界の中心で愛を叫ぶ』の結末と実はモチーフが少し似ているのだが、にもかかかわらず死生観において両者は際だった隔たりを示しているのかもしれない。




 

死なない子供

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 2月 6日(日)07時26分54秒
  吉祥寺バウスシアターのレイトショーで『死なない子供』を見る。荒川修作の住むことができる芸術「天命反転住宅」に実際に住んでいるという山岡信貴が監督した。
見ているうちに「死なない」の意味が自分なりに納得できる。それ自体を言葉にしてしまうと安っぽくなるので少し横にスライドさせて書いてみる。
生命工学が幾ら進んでも生命は作れないという。しかしそれは世界を作れない、宇宙を作れないというのと同じ話ではないのか。生命と言っても世界の中にある多様な「変化の連鎖」のひとつに過ぎない。それを特別視し、特に人間のそれを地球よりも重いなどといっているのは思い上がりも良いところだ。
そして誰もが世界を終わらせられない(第三次世界大戦で世界が終わるというのも奢った話で、放射線を帯びて世界は続いて行く、いや宇宙全体が放射線に溢れていることを思えば、地球が核兵器で消失したとしてもたいした変化ではないことになる)のと同じように生命を終わらせることもできない。生物界で死は他者の生を育むし、たとえ地球上の生命が死に絶えてもまたどこかの星で偶然に生命が現れることもあるだろう。それは全宇宙の歴史の中ではひとつが消えて別の場所に現れる変化の連鎖に過ぎない。

そう考えてみれば、私たちは死なないし、そもそも死ねない。
これはオートポイエーシスの世界観に近い。実際に荒川の作品のいくつかはオートポイエシス理論の紹介者でもある河本英夫さんが翻訳しているし、映画にもその名前が入っていた。そう気づいてみると天命反転住宅や、それと繋がる荒川の作品の世界が、細胞の図解に近いことにも気づく。世界中の科学博物館には細胞の構成物を巨大な展示にしてみせるものがしばしばあるがその色遣い、神経や遺伝子の配置は、天命反転住宅のパイプの配置と似ている。

 

70年代

 投稿者:武田徹  投稿日:2011年 2月 4日(金)05時11分56秒
  ランダムハウス講談社から出した写真集『20世紀この10年』シリーズの70年代の巻に寄せた序文。この写真集はニック・ヤップというライターが過去の報道写真の中から選んでキャプションを書いている。プレスリーの最後のステージ写真に若いデビッド・ボウイが並び、時代のページが書き換えられたことを印象づける。あと女子のノーブラ率が高い。50年代、60年代、70年代を日本語版を出してそれぞれに序文を書いた。他の二冊向けの生原稿データも探してみたい。

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  政治の季節と呼ばれる60年代、高度消費社会化が始まる80年代に挟まれて、70年代はどこか印象が薄い。しかし本書に収められた写真を眺めていて改めて気づいた、70年代とはテロ(=恐怖と不安)の時代だったのだ、と。
 9・11の惨劇が「テロとの戦争」の封印を切ったとブッシュ米大統領は言った。だがテロリズムとは実はフランス革命末期に生まれた古い言葉で、ロベスピエールが「恐怖」を利用して体制(regime de la Terreur)を構築したことを意味する。
 そんな恐怖の利用価値が重視された点で70年代は注目に値する。60年代の学生運動は流儀こそ多少荒っぽかったが、体制側と交渉しようとはしていたのだ。だが、そんな悠長なやり方では通用しないと悟った活動家の一部が先鋭化を遂げ、本格的な武器を手に取り始める。とはいえ、いかに武装しようと国家相手に多勢に無勢は如何ともしがたく、恐怖の波紋を広げて実働以上の効果を期待するようになる。市中に爆弾を仕掛けて不特定多数の市民を恐怖に陥れ、大使館などを拠点施設を占拠し、メディアを通じて犯行声明を出して自分たちの存在と主張を広くアピールするーー。IRA、赤い旅団、黒い9月、日本赤軍・・・・、様々なテロ集団が表舞台に躍り出た10年間だった。
 ベトナム戦争も70年代には性格を変える。67年旧正月のテト攻勢以来の形勢逆転で、米兵はいつ現れるか分からないベトコンゲリラの影に怯え始める。当時の米政府も盛んに「テロとの戦い」と述べていたこと、そしてその戦いに結局は敗れた事実を、約30年後のホワイトハウスの主は知らなかったのか、敢えて無視したのか。ちなみに70年代最後の年にようやく完成したベトナム戦争映画の傑作、『地獄の黙示録』の最後にコッポラは「Terror(=恐怖) Terror・・・・」のうめき声を挿れていた。
 70年代に始まったと言われる環境保護、省資源運動もその背景にも恐怖が控えていた。スリーマイル島の原子力発電所事故は放射能と恐怖をまき散らし、2度のオイルショックは人々をパニックに陥れた。当事者だった時には気づいていなかったが、今、70年代を回顧して自分たちがいかに恐怖と駆られ、不安の中で動揺していたかが改めて分かる。怖がり過ぎて、長い目で見て的確とは言いかねない対応をしてしまった反省点も少なくない。
 そして、そんな70年代の沈鬱への反動からか、80年代には消費礼賛が導かれる。本書に登場する範囲でいえば70年代末に空前のレコードセールスを記録したABBAの登場などが、そんな次代を先取りしているのだろうが、全てが記号(ブランド)化され、消費される80年代以降の社会の趨勢について、私たちは実はもっと警戒し、もっと恐れをなしても良かった。「ひとは常に怖がり過ぎるか、怖がらなさ過ぎる」という、寺田寅彦のものと言われる箴言は、この時期の戦後史にも当てはまるようだ。
 

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