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 投稿者:武田徹  投稿日:2011年10月14日(金)11時05分7秒
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  礼拝で話したこと。東京新聞に書いた「これからを生きる君たちへ」を改稿し、RONZAのハンセン病の歴史と311以後の社会をつなげて論じた原稿と合体させ、話す。

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10月14日の大学礼拝を始めます。
まず賛美歌21 520番をみなさんと一緒に賛美したいと思います。差し支えない方はご起立いただければと思います。

次に聖書を読みます。今日お読みするのは詩篇72の3~7節 旧約聖書906ページです。

山々が民に平和をもたらし

丘が恵みをもたらしますように。

王が民を、この貧しい人々を治め

乏しい人の子らを救い

虐げる者を砕きますように

王が太陽と共に永らえ

月のある限り、世々に永らえますように。

王が牧場に降る雨となり、

地を潤す豊かな雨となりますように

生涯、神に従う者として栄え、

月の失われるときまでも

豊かな平和に恵まれますように。


今日は『君たちはどう生きるか』と題してお話をします。
これは本の題名です。かつてそう問いかける題名の本がありました。
この本は、1935年、戦争が色濃くなっていた時代の日本で、出版の自由もだいぶなくなっていましたが、少年少女に平和の大切さを伝えることはまだできる、そう考えた小説家の山本有三さんの発案で始められ「小国民文庫」シリーズの最後を飾るものとして刊行されました。
当初、山本有三自身が書く予定だったのですが、山本さんは目が見えなくなってしまったので果たせず、当時、東京大学で哲学の勉強をしていて、このシリーズの刊行を手伝っていた吉野源三郎さんが書くことになりました。
この『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行されました。226事件が起こり、日華事変が起きてまさに戦争に突入してゆく年です。あとでお話ししますが、『君たちはどう生きるか』の中には、暴力に反対するメッセージがあります。そんな内容の本を1937年に出したことには大きな意味があったと言わざるを得ません。
『君たちはどう生きるか』は、戦後になって復刻され、長く読み継がれてきました。今も岩波文庫の一冊になっています。しかし昔ほど読まれているわけではありません。学生諸君は存在も知らないかもしれないので、内容を簡単に紹介しておきます。
主人公は中学二年生の「コペル君」です。コペル君とはもちろん愛称であり、本名は本田潤一くんです。コペルくんは父親をなくし、お母さんと二人で暮らしています。そんな甥のコペルくんを不憫に思ってお母さんの弟のおじさんが何かとコペルくんの相談相手になっています。
コペルくんという名前をつけたのもおじさんでした。このあだ名がついたエピソードも本の中に書かれています。ある日。あじさんに連れられてコペルくんは銀座のデパートに買い物に出かけます。デパートの屋上から霧雨の降る銀座通りを行き交う人々を見下ろしていたコペルくんは、ふとこうつぶやきました。「人間は分子のようなものだなぁ」。
それぞれが別々に動いているが、ある人が通るとあるひとがそれを避ける。自動車が来るとそれをよける。こうして人々はつながって、ひとつの全体をなしている。そんな様子に気づいてコペルくんは「人間は分子のようだ」と呟いたのでした。
そのつぶやきを聞いたおじさんは。コペルくんが自分中心の考え方を離れて、人々が、そして人と物が様々な関係性でつながれていることに気づいたことを知ります。
そして、コペルくんがそんな認識を得たことを、天動説の世の中で地動説を唱えたコペルニクスに匹敵する大きな成長だと考えて、潤一くんをコペルニクスくんと呼ぶようになります。それがいつしかコペルくんの愛称となって広まっていったのでした
そんなコペルくんの日常を描いた『君たちはどう生きるか』の中で有名なのが雪の日のエピソードです。
コペルくんの仲良しの一人、北見くんは愛校心、愛国心を暴力を使って押し付ける上級生に対して、それでは本当の愛校心は根付かないと主張したために上級生グループから目の敵にされていました。いつ上級生に暴力を振るわれるか分からない。そんな不穏な雰囲気の中で、コペルくんの仲良しグループは上級生に何をされても北見くんを守ると約束を交わしていました。
しかし、ある雪の日、恐れていたことが起きてしまいます。珍しく東京でも雪が積もったので中学生たちは喜んで校庭で遊び回っていたのですが、北見くんがひょんなことで上級生の作っていた雪だるまを倒してしまいました、北見くんは丁寧に自分のミスを詫びるのですが、許してもらえません。上級生はここぞとばかりに北見くんをののしり、いいがかりをつけて殴りかかろうとします。
その時にコペルくんの仲間たちは上級生と北見くんの間に割って入ります。彼らは何があっても北見くんを守るという約束を果たしたのでした。ところがコペル君だけ上級生の鉄槌から北見くんを守る盾になることができませんでした。凍りついたように足が固まってしまい、どうしても動くことができなかったのです。やがて不良上級生たちは問答無用とばかりに北見くんたちを殴りつけ、勝ち誇ったように去ってゆきます。
コペルくんの仲間たちはさんざん殴られて泣きべそをかきながらも、一番ひどい目にあった北見くんをだきかかえて教室に帰ってゆきます。そんな光景をコペルくんは雪の中でただ立ちすくんで見送りことしかできませんでした。コペルくんは約束を守れなかった自分がふがいなく、雪のふる校庭に長く立ちすくんでいました。それが原因となって風を引き、熱を出し、寝込んでしまいます。そして病床で悩みに悩んで、おじさんとも相談し、仲間たちに詫びの手紙を書きます。そして今度こそは自分も戦うと誓います。
この雪の日の出来事の章は戦争へ雪崩れ込みつつあった時局の中で、暴力に立ち向かう勇気の重要さを訴えた印象的な箇所として『君たちはどう生きるか』の中でも有名な箇所です。
しかし、ここで考えて欲しいです。もしもまた上級生が暴力を振るったとき、コペルくんはそれと戦うことができたでしょうか。私はそれは難しいだろうと思います。なぜならコペルくんの体が暴力を戦うように訓練されていないからです。
『君たちはどう生きるか』を「日本人の書いた哲学書で最も独創的なもの」と絶賛した哲学者の鶴見俊輔は一方で「身体の反射」を重要な問題として考えていました。
そこには第2次大戦が愚かな戦争だと知っており、頭の中では戦争に反対していながらも、なんらかの行動に踏み出せなかった自分への反省があります。
何か行動をするには、それができるように反射する体を持っていなければならない。鶴見俊輔はそう考えました。思想を行動に変えるには体を変える必要があるということです。
コペルくんは父親をなくし、お母さんとおじさんに大事に育てられました。そのために友人を守るためなら自分の身を危険の中に投じる、そんな反射行動を取る身体を持つに至っていなかった。コペルくんが北見くんを守れなかったのはそこに原因があると鶴見俊輔は考えます。つまりアタマで分かっているだけではダメ。反射的に動く身体を事前に作っておかなければならない。プラグマティズムの実践哲学を講じた鶴見氏ならではの指摘だといえましょう。
このエピソード7を3・11以後に私達がどう生きるかを考えるうえで引いてみたいと思います。
たとえば3月末に東京都浄水場で僅かな放射線量が検出されたと報じられただけで、あっという間に店頭からペットボトルが消えました。微量の放射線被曝でも将来的に何か危険があるかもしれないので、あらかじめそれを避けておこうとする「予防原則」的行動は、自分のことだけ考えている限り理想的でしょう。
ですが、社会の中のひとつの「分子」である個人の行為は、他の「分子」に影響を及ぼす。それは銀座のデパートの屋上から街行く人を観察したコペルくんが気づいたことでもあります。多くの人が線量ゼロのペットボトル水を買い占めると、本当にそれが必要な妊婦や幼児に届かなくなります。
あるいは、なんとなく不安だからと安全基準値をクリアしている福島産作物まで避けていると、生産農家に被災に加えて風評被害までもたらしてしまいます。
これらは鉄拳を直接下すわけではないですが、間接的に誰かを殴りつけているに実は等しいことです。自分がそんな暴力の担い手にならないためには、予防原則的行動を一瞬控えて、余裕がある人がリスクを少しずつ許容する必要があります。
たとえば健康な大人が、健康に問題のない線量の水道水を敢えて飲むことで一部の弱者=妊婦や幼児にリスクを重く押しつけずにすみます。ましてや安全性が確認されている食べ物であれば、福島産であれ受け入れる。被災者を支えるためにあえて受け入れるぐらいのことをしてもいい。
しかし、これはアタマで考えれば誰でも分かることだが、動けなかったコぺル君とは逆に、放射線と聞くとすぐに回避へと動いてしまう身体の「反射」が、そうして思考から行動を選んでゆく回路を遮断してしまいます。
話は少し変わりますが、私はハンセン病の歴史を調べたことがあります。日本にはハンセン病の患者さんを強制的に隔離し、ひどい目に合わせた歴史があります。しかし、それは隔離政策を進めた政治家や専門医たちの仕業だったか、というとそうではないです。そうした隔離政策を支持したのは国民全員です。病気をうつされたら困る。そう覚えて患者さんたちが強制的に隔離されることをむしろ望みました。そこにも自分の身にふりかかるリスクをゼロにしようとして重いリスクを患者さんに押し付けてしまう構図があります。
放射線を恐れて、東北の人たちにリスクをおしつけてしまう最近の傾向はハンセン病隔離の歴史と一緒だと思います。これもコペルくんが仲間を助けられなかったのと同じ反射の問題なのでしょう。共助の精神は今やずいぶんと共有されて東日本大震災でも多くのボランティアが救済に活躍しましたが、被爆リスクを前にすると身体が言うことを効かなくなります。放射線は怖い、放射線があるかもしれないものは自分から遠ざけようとする。こうした「反射」を方向転換するにはたいへんで、できたとしても長い時間がかかるはずです。
しかし、だからと言って諦めないでほしい。私はそう願ってやみません。
自分を守ることが他者への暴力に間接的に繋がってしまう、そんなリスク社会の実態を認識することから、地道に始めて行く必要がある。わたしはそう思っています。思想がいつかは行動を変えてくれる、そう信じたいと思います。
かつてコぺル君は「暴力との戦い」を誓いました。学生のみなさんは、21世紀のこれからを生きるコぺル君たちです。これからを生きるみなさんは「無意識に暴力を働いてしまう自分との戦い」を誓うようであって欲しいと思っています。
お祈りに変えて黙祷をします。
 
 
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